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オッサンの実力を教えてやるぜ!

名作映画は時代を超えても色あせない『バック・トゥ・ザ・フューチャー』三部作

どうも、ガンダムのオッサンです。

イキナリですが深夜に突然バック・トゥ・ザ・フューチャーが見たくなる、それも全3部作を観たくなる...

あると思いますし、ないとは言わせません。

という事で我慢が出来なくなった私は近くのレンタル屋へ、

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レンタル屋で借りたバック・トゥ・ザ・フューチャー三部作のDVDは当時のパッケージデザイン。

今の時代はアマゾン・プライムビデオやNetflixなんかでスマートに映画を観ちゃう時代、そんな時代にわざわざレンタル屋にいってDVDを借りるってのは「俺はじっくり腰を据えてガン見!」のあわられ...

なんて事はありませんね、時代に合わせたライフスタイルにあった映画を観ればよろし。

でもバック・トゥ・ザ・フューチャー三部作のDVDを並べてみるとデロリアンにマーティー、ドク、クララと増えていく感じに壮大なタイムトラベルのロマンを感じられずにいられません。

バック・トゥ・ザ・フューチャーは極めて狭い範囲でのタイムトラベル物語

映画バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズはタイムトラベルによって引き起こされる歴史の変化を解決していく様を楽しむのがメインの醍醐味と考えている私、

他にも「デロリアンまじかっけけ!」や「いつもギリギリのタイミング」や「失敗は許されない」なども見どころの一つになります。

そんなバック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズの舞台はヒルバレーといった街限定の超狭い範囲のみでのタイムトラベル物語がポイント。

範囲が極端に限定されているのでタイムトラベルによる歴史の変化は地域限定、だからこそ伏線回収や歴史の関連性が楽しめる....とはいっても主人公のマーティーやドクが過去に干渉した結果未来に影響を及ぼすのが原因なので全て自分達が悪いんだけど。

 バック・トゥ・ザ・フューチャーがヒルバレー限定の歴史と物語でなければ壮大なストーリーになりすぎてタイムトラベルが引き起こす人間関係の歴史の変化や解決が楽しめなくなっちゃうってもんです。

もしバック・トゥ・ザ・フューチャーをまだ観ていない人が当記事を読んだならば何も考えずに今すぐに観なさい、これはほとんど命令です。

バック・トゥ・ザ・フューチャーは現代人として生まれたからには観る必要がある映画、一生の思い出として脳に深く刻まれる物語です。

細かい矛盾点が存在するが気にならないストーリー展開の早さ

映画バック・トゥ・ザ・フューチャーをじっくり見ると実は細かい矛盾点がちょこちょこ存在します。

それでも矛盾点を気にせずに物語を楽しませてしまうストーリー展開の早さがバック・トゥ・ザ・フューチャーの魅力のひとつ。

「あれ?」と思ってもストーリーがガンガン進んでしまうのでタイムトラベルの矛盾点を考えるよりも先の展開が気になり矛盾点はどうでも良くなる。

基本的にパラレルワールドの存在が無いのがバック・トゥ・ザ・フューチャーの世界観とはなっていますが歴史が変わった時点で全ての時間軸と正当な歴史を知るマーティの脳が影響されない、ドクの脳も影響されないのが後々になって少々ひっかかります。

バック・トゥ・ザ・フューチャー的にその辺の解釈は徐々に未来が変わっていく的な感じでしょうか、未来の写真が歴史を変えた時点で徐々に変わっていく方式によりトラブル解決後には元通り!ってな強引さはどうしてもあります。

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バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3のラストシーンには「?」が多い

しかしPart3のラストシーンだけはどうしても大きな「?」が生まれてしまうというもの。

バック・トゥ・ザ・フューチャー3のラストシーンはドクと妻のクララと子供がタイムマシーン機関車で1985年のマーティー&彼女に会いに来る、その後タイムマシーン機関車は飛んでどこかにタイムスリップする(映画では行先不明だけどバック・トゥ・ザ・フューチャー正史的なゲーム で行先は1931年)

 ではドク&家族が乗って来たタイムマシーン機関車はどうやったのか?問題...これは色々な考察があります。

一つに1955年に落雷によりドクが1885年(西部の時代)へタイムスリップした時のデロリアンのタイムスリップシステムを機関車に移植した考え方。

つまり1885年にデロリアンはマーティーが1955年から乗ってきたものと、1955年に落雷により乗ってきたもので2台のデロリアンが同時存在する時期があるのです。

 この2台のデロリアンはマーティーが乗ってきたデロリアンは機関車に押されて1985年へ戻る用が一つ、もう一台は70年間保管する用のデロリアン。

こう考えるとPart3でドク&家族が乗って来たタイムマシーン機関車は70年間保存する用のデロリアンの部品を移植とは考えにくい、70年保存用のデロリアンに手をつけてしまうと1955年のマーティーが1885年にこれないから(バック・トゥ・ザ・フューチャーPart2~3の冒頭を参照)

 そうなると次はドクが1885年にあるものでタイムマシーン機関車を制作、そのタイムマシーン機関車はPart3のラストシーンで空を飛んでいるので未来の技術を使っている可能性が高く、1985年のマーティー&彼女に会いに来る前に2015年ぐらいの未来に行ってる。

この解釈の場合はドクが1885年に存在する物のみでタイムマシーンを制作しなければ1885年から抜け出せない事になってしまう、はたしてそれは可能なのか?といった疑問が出てしまうのがPart3のラストシーンなのです。

もう一つの見解としてマーティが1885年に置いていったホバーボートの技術や部品を使ってタイムマシーンを作ったというもの。これが一番答えに近そうな気がします。

バック・トゥ・ザ・フューチャーはPart3のタイムマシーン機関車シーンがなければ大きな疑問は残らないというもの、でもマーティ&彼女とドク&家族の感動的な再会シーンは

「あ、なんか全部上手くいってよかったね!」

とハッピーエンドな気持ちにさせるシーンなので必要といえば必要。

さらにタイムマシーン機関車が飛びながらタイムスリップしてエンドロールになる流れはいかにもバック・トゥ・ザ・フューチャー的な未来を感じさせる終わり方、続編あるかもよ?的な終わり方とも言えます。

 


フェイク予告 バックトゥザフューチャー パート4  BACK TO THE FUTURE PART4 MAD

バック・トゥ・ザ・フューチャーPart4はキャストの年齢や マイケルJフォックスの病気を考えても難しいものがあります。

一応バック・トゥ・ザ・フューチャー正史的なゲーム(脚本はボブ・ゲイル)ではマーティーとドクが再び冒険を行う内容がありますが私としてはマーティーの孫、ドクの孫、ビフ一族が絡んだタイムトラベル物語が見てみたい!

マーティー、ドクのみが得をする世界観

バック・トゥ・ザ・フューチャー三部作を再び見る...といっても何回目か分からないぐらい観た感想、そしてオッサンになった今再び観た感想はマーティーとドクのみが有利で得をするヒルバレーな世界観といったところでしょうか、

デロリアンでタイムスリップを行うにあたっての制約を克服しながら歴史を正しい流れに戻すPart1も結局はマーティーとドクは得をする世界、とくにマーティがwww

Part2は一応マーティーの子供...って事で2015年だけど爺さんビフに過去を変えられてしまい1985年に戻った時にヒルバレーはビフ王国でドクは精神異常者、マーティー家族は悲惨な状態だから元に戻す為に1955年に行くといったマーティーとドクが得をする世界

(本当は2015年に爺さんビフがスポーツ年間を1955年のビフに私た時点でビフ王国の2015年に歴史が変わっちゃってるはずだけどそこは無かった事に)

 パラレルワールドの存在がないバック・トゥ・ザ・フューチャーはデロリアンを手にするマーティとドクが得をする歴史を作り上げる...一応モラル的なものがマーティとドクにはあるにせよやっぱりあの二人が得をする世界観なのです。

 大体が1955年でマーティの父がビフをぶん殴って父が優位な人生を歩んでしまった事により1985年のマクフライ家に4WDの車が発生、それによりロールスロイスに突っ込んた後の2015年のマクフライ家がある...これがPart1~2のマーティーの流れ。

 それがPart3における人間的な成長とも言うべきでしょうか、最終的に1985年のマーティーは4WD車でロールスロイスに突っ込むことなく終わる、

彼女が持っていた未来の紙にある「くび」の文字が消える、

マーティはデロリアンによりもの凄く得をします。

それはドクとて同じこと、1855年で愛する人を見つけて未来に連れてっちゃうのだからやりたい放題、とくに金の面ではスポーツ年間を持ってなくとも株価を知っていれば良い、成長する企業を知っていれば良い、映画においてそのシーンは無いけどPart1~Part2までのドクはデロリアンで多くの未来を見てきたでしょう、タイムスリップの燃料もゴミでOKみたいなのに改造しちゃってるし。

デロリアンの使用についてマーティはドクの制約が”かなり”あるけどドクには制約がないのですもの。

名作映画は時代を超えても色あせない

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』三部作を突然みたくなりレンタル屋で借りて一気にみた私、令和元年からすればPart1は30年以上も昔の映画です。

ところどころ古臭い部分はあるものの物語の考察やタイムトラベルについての考え方、タイムパラドックスの楽しみ方など令和元年でも深く語り合える物語、それがバック・トゥ・ザ・フューチャーであり名作映画だからこそ30年経っても熱く語れる映画だと思うのです。

名作映画は時代を超えても色あせない、そんな映画にこれから先も出会えるだけで人生は少し豊かになるはず。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。