どうも、ガンダムのオッサンです。
はてなブログの読者機能ってとても便利なものですよね、一度読者登録すれば登録したブログが更新した時にピコーンと赤いマークがついてお知らせしてくれるとても便利な機能です。
そして一度読者登録したブログの読者を辞めるのも簡単、ボタンを押すだけ。
しかしこの読者をやめるボタンってのは案外押しにくいものなの、少なくとも私にとっては結構重いボタンです。
私も色々と読者になっているブログがあるのですが先日あるブロガーさんの読者をやめさせて頂きました。
そのブロガーさんにとって私が読者であろうがなんだろうがどうでもよい事なのでしょう、だって私は有名ブロガーでもなければインフルエンさーでもないもの。
しかし私にとっては面と向かって真顔でバカにされたような感じ。
私は感情のまま読者をやめてしまいました。
ブログやめる宣言
そのブロガーさんとは直接的に交流はないものの面白くて独特な表現をするブロガーさんだなぁ...と密かに尊敬、表現力の豊かさの参考にもなるし一つの出来事に対する徹底した考察は魅力的でした。
しかしある時そのブロガーさんが突然のブログやめる宣言、きっと実生活で何かあったのだろうな..と思い余計なコメントはせずに「お疲れさま」の気持ちでブラウザのタブを閉じる、また気が向いたら再開すればいいさ...!の気持ちでした。
ところがそのブロガーさんは次の日に通常通りの記事を公開、私としては「..ん?」と思いつつも予約投稿しておいたものがそのまま公開されただけなのかな?なんて思いながら記事を読む。
内容的にみても前日のブログやめる宣言とは全く関係が無い、やはり予約投稿によるミスであると思いつつ読者登録はそのまま継続。
しかしその後も記事は更新され続ける状態、ブログやめる宣言前と変わらない日常だったりオピニオン記事だったり... 明らかにタイムリーな時事的内容の記事も公開され続けました。
「ブログ再開します」の一言がないまま更新
別に個人ブログなのでブログやめる宣言した後にやめるを撤回しないまま更新を続けたとしても問題はないでしょう、ただ読者としては違和感が凄いだけ。
やはり日記的なブログとはいっても広告収入が発生しているブログなら色々な事情があるというもの、「ソレはそれ」「コレはこれ」でも良いと考えるのも私です。
ただ一読者としては一言欲しかった気持ちがある、詳しい理由まで書かなくてもよいから「やっぱりやめるのやめた」の一言は欲しかった気持ちがあります。
この一言がないままほぼ毎日更新され続けたブログ、筆者にとってはどうても良い事なのかも知れません。
ただブログやめる宣言前から読んでいた私としてはいつか「ブログをやめると宣言した理由」なる記事が更新されるものと思っていました。
ほとんど毎日更新のペースなのだから以前のブログやめる宣言をした時の心境やその時の実生活の状況などをふまえた記事が更新されるものとばかり思っていたのです。
私も日常的な記事やオピニオンをブログで書くオッサン、PC画面でキーボードを叩いてる時の精神状態がそのまま記事になってしまう事もあります。その内容が誰かを傷つける内容の場合もあるだろうしワガママな内容だってあるはずです。
人は失敗するもの、完璧な人間はいない。
私のブログ記事で嫌な想いをされた方がいたらごめんなさい。
んでそのブロガーさん、私は違和感を持ちつつ読者であり続けました。
再びブログやめる宣言
きっと精神状態があまりよろしくないのだろうな...と思いながら読み続けたあるブロガーさんの記事、前回のブログやめる宣言からどれぐらい経過したのか忘れた頃に再びのブログやめる宣言...
これには正直驚きました。
「ブログやめるのやめた」の一言がないままに更新が続けられたブログ、
そのブロガーさんにとっては前回のブログやめる宣言は無かった事になっているのだろうか?忘れてしまっているのだろうか?
ブログやめると宣言後、それは無かったことのように毎日更新を続けて再びのブログやめる宣言とは!?
ちょっと精神状態が本当にマズいのではないだろうか?
...と交流がないブロガーさんとはいえ心配になります。
コメント欄には「またか」「何回目」「やめるやめる詐欺」のようなコメントがあったりお疲れさまのようなコメントがあったり... 軽く調べてみるとこのブロガーさんは過去にも同じような事を繰り返しています。
ただ私としては今回は本当かもしれない、きっと何か大きな出来事があったに違いない....彼の文章力、表現力の高さから私がそのように感じてしまっただけかも知れません。
そして今回ばかりは本物なのだろう、少しブログは休んで再開する時にはブログやめる宣言についての「何か」が語られるのだろう....と次の更新を期待しつつ読者は続けようと何かアクションを起こす事はしませんでした。
※画像は挿絵的ガンプラ、記事の内容とは全く関係ありません。
ブログやめる宣言の二日後に記事を更新
私にとっては2回目のブログやめる宣言をしたブロガーさん、彼は二日後に記事を更新しました。
しかしその内容は私の想像していたものとは全く違うもの。
最初からブログをやめる気はなかった、色々と期待するほうがおかしい、ブログの再開に喜ぶべき、ブログが終わるフラグはたっていなかった...等の内容になります。
つまり彼にとってはブログやめる宣言記事もひとつのコンテンツ、エンターテイメントという事なのでしょうか、それも含めて楽しんでほしい...と私は受け取りました。
このような出来事について色々な意見もあるでしょう、コメントの意見も割れているように感じました。
ただ私としては面と向かってバカにされたような印象、このブロガーさんの手のひらで踊らされていただけ、心配する必要などはじめから無かった...と。
釣りを表明するならば「ゴメンね」の姿勢が欲しい
結果からみれば私は釣られていたという事になります。
まあね、ネットの釣りといった行為にはエンターテイメント性があるし面白い場合もあるから釣り行為について全否定はしません。
しかし釣りは終わり方と最後が肝心、釣られた7割近い人が笑って終われるようなラストであれば批判も少なく「やられたwww」と人を笑顔にさせる効果もある、そこにはエンターテイメント性が存在すると思っています。
そして釣りの場合、優秀な釣り師は種明かしの時点で「ゴメンね」の姿勢が必ずあります。だからこそ釣りであったとしてもそれなりに良い評価を受けるのがインターネットの世界だと思うのです。
では種明かしで「ゴメンね」の姿勢が無い場合、筆者の主張が自分は悪くないといった態度の場合... それがブログといったメディアで読者機能もあるような場合...
ファンである読者は馬鹿にされた、騙された、と思うのが普通でしょう。
当然ながら一読者である私に本質を見る目がなかったからそのように感じてしまったことはあります。この辺は私の能力不足にはなる、
しかし初めから読者をバカにするような流れを組んでの記事更新だったのでは?
それでPVを稼ごうとしていたのでは?
と考えれば考えるほどそのブロガーに対する幻滅感、心を弄ばれた感が高まって来るというもの。
もうそのブロガーに対し、完全に信用がマイナスになってしまったので読者をやめさせて頂きました。
今後読者を続けたとして、三回目も同じ思いを私がしてしまうのならばそれこそ私はバカってやつです。
炎上芸と読者をバカにする行為は違う
炎上芸...ありますよね、無茶な主張をしてあえて叩かれる、それによりPV数を稼ぐような手法。
これは何もネットメディアの世界だけでなくテレビメディアでも昔からあった事、やり方や正義感はとりあえずおいといて目的(PV数)の為の手段(炎上)でしょう。
炎上芸が上手な人はきっちりと落としどころまで考えて戦略的にやっているのだと思います。
ではブログやめる宣言によりそれまで読者だった方の心に何かを与える、何かのアクションを起こさせる、注目を浴びる、その後に自分は悪くないと世間とのズレを発生させる主張により更なる注目を浴びるようなやり方...
これは戦略的でもありますが「読者」といった固定の層、場合によっては私のようにファンだった人の心を踏みにじる行為です。
そのような行為とは固定的に読んで頂いてた読者からそっぽを向かれる、完全に信用を無くす、相手にされなくなる...といった未来が見えてきます。
「あまり読者様をバカにするような記事は書かないほうが良い」
面と向かってバカにされたと感じている私ですが、それでも得るモノはあったと考えるある日のはてなブログ...
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。