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オッサンの実力を教えてやるぜ!

かつてこの世にはエロ本を全て撤去する「鬼」が実在した

お題「渡る世間の鬼の話(チョコっとした鬼の話)」

私が中学生の時、何に最も情熱を捧げていたのか?と聞かれれば間違いなくエロ本とゲームである。

当時はインターネットも無ければビデオデッキすら高級家電と言われた時代であって中学生男子の持つ抑えきれないパワーの7割はエロ本に注がれていたといっても過言ではなだろう。

しかし世の中にはそんな中学生男子の愛読書であったエロ本を定期的に撤去する存在があったのものまた事実、それなりに苦労して集めたお気に入りの愛読書が全て無かった時のダメージは想像を絶するものであった。

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今の世で例えるならブックマーク全削除の刑だろうか、それともスマホ初期化の刑だろうか、私の中学生時代は学校に行っている間に、かつ定期的にやってくる「鬼」との見えない闘いは避けては通れぬものであった....とここに記す。

ベッドの下、じゅうたんの下、机の引き出しの裏

中学生が秘密の愛読書を実家で隠せる場所なんてたかが知れている。

王道とも言える隠し場所はベッドの下であり定番中の定番、そんな場所は大人からすれば「ご自由にどうぞ」と言わんばかりの隠し場所であり初心者中オブ初心者丸出しだ。

ベッドの下に愛読書を隠すなんてものは隠していないも同然であって鋭い鬼ならば三日以内に全て発見・処理といった流れになる。

だがしかしベッドの下を発見・処理されてからがスタートラインに立つというもの、人間とは失敗から学ぶ生きモノであって「次はじゅうたんの下」「机の引き出しの裏にガムテープで貼り付ける」と、より高度で発見されにくい場所を自らの力で開拓してゆくのである。

究極的には屋外での保管が確実であるものの盗まれる可能性やいちいち取りに行く手間を考えれば実家のどこかに隠しておきたいのもだ、私は逆転の発想で親の寝室にあるじゅうたんの隅をめくって隠そうとしたら何物かの手により洋物の本がすでに隠されていた時には本当に驚いたものだ。

実家と言えど男は一人じゃない、男児たるもの秘密の場所ぐらい自分の力で家の中で作らなければいけないと社会の厳しさを学んだ。

「撤去」とは脱力感と恥ずかしさを同時に味わう男の試練

鬼に撤去された愛読書は二度と手に入らない、それはどんなにお気に入りの一ページが存在している本だとしても永遠のお別れだ。

そのような経験を積み場数を踏むと「撤去される用の本」と「絶対に死守すべき本」とで隠し場所を分けるようなテクニックを身に着ける。

あまり良くない本、おかわりは無いハズレ本をあえて発見される場所に隠し、オキニ本丸本は机の引き出しの裏にガムテープで貼り付ける。

すると面白い事に撤去される用の本だけが必然的に撤去され、オキニ本は無傷で済むのである。ひとつ摘発すればそれでオールクリアー感があるといった鬼の深層心理をえぐった私の高度なテクニックだった。

 

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しかしオキニ本は無傷で済むのだが「エロ本を鬼に発見された事実」は残る。

しかも学校から帰って来たタイミングで発見・撤去された事実を知る、出来ればその日はそのまま誰とも顔を合わさずに終われば精神的にもダメージは少ない、しかし夕飯を食う時にどうしても鬼と顔を合わさなければならないといった試練があるのだ。

このような状況における飯とは厳しい社会を知る場、鬼は発見・撤去した行為を言わずに家族で夕飯を食う、まるで無かった事のように振る舞いつつ飯を食う。

私は男なので鬼の心情は分からない。

でも少しだけ考えてみると鬼はやっぱり「無かった事」としたかったのだと今になって思う。

  • この家にはエロ本など存在しない
  • 息子はそんな子じゃない

このような正しい雰囲気の固定的な思考回路になってしまい発見・撤去の流れになってしまうのではないだろうか。

しかし悲しいかな、じゅうたんの裏に隠された大黒柱所有の洋本...それはある一定期間でラインナップが更新されていた。

平成最後の時代、鬼のあるべき姿とは

私の中学時代は鬼が定期的に部屋をチェック、当然がごとく私に無断で愛読書の撤去を行っていた。

それに対する反論や反抗が出来るほど中学生の心は強くない。

居酒屋でオッサンが愚痴を言い合う様のように、私もまた公園で同級生の仲間と鬼についての愚痴をこぼしあったものだ。

しかし平成も最後となる今の時代にアナログとも呼べるエロ本を愛読する中学生はマイノリティーな存在だろう。

その理由は単純でありスマホがあれば、パソコンがあればおかずに全く困らない社会構造と時代が変化しているからである。

惨めなのはスマホもパソコンも触れない環境下に置かれた中学生だろう、そのような中学生にこそ手を差し伸べてあげたいものだがエロ本自体が減少傾向にある

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困るのはネット環境がない男だ。

しかも仮にこの先もコンビニでエロ本が販売し続けられたとしても中学生がコンビニでエロ本を購入するのはハードルが高い、それは私がかつて中学生だった時代よりも現代のほうが難易度の高い買い物になるはずだ。

昔はコンビニにおける買い物とはあくまで一時的なものであり、商店街での買い物が基本の世の中。コンビニで扱う商品も少なくレジが数台あるよな状況でもなかった。

しかし2019年の今、コンビニの存在は無くてはならないものとなり小さな子供からお年寄りまでもが買い物をする場となっている。

イートインでスマホを弄る人、ATMでお金をおろす人、弁当やドリンクを購入する人...それが24時間体制で動いている。

そんな状況のコンビニで、中学生が学校終わってお小遣いを握りしめてコンビニに本を買いに行くとして、その時間帯を常識的に考えるとPM4:00~PM7:00になるだろう。

ではその貴重な3時間にコンビニの状況はどうであるか?を考えれば現代の中学生がコンビニでエロ本を買えるわけが無い。

中高生がコンビニのイートインでスマホを弄る横でエロ本を物色する中学生を想像すればこれほど惨めかつ残酷な状況はないだろう。

 

かつての鬼の目、それは今やスマホに向けられている。

現代における鬼の役割がかつての鬼と同じく果たされているのならば社会はそれほど大きく変化はしてないかもしれない。

しかしベッドの下にある本を撤去して無かった事にできた時代とは異なり、つまるとこをスマホさえあれば、タブレットさえあれば、パソコンさえあればいくらブックマークを消去しようが何だろうが脳がURLやサイト名を覚えてしまっている以上、無かった事には出来ない。

 

私は思う、

平成最後の年、かつてこの世に存在したエロ本を全て撤去する「鬼」はもういないのではないかと。

 

ヒャッハー委員会のお題のテーマである「鬼」について強引に書かせて頂きました。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。