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オッサンの実力を教えてやるぜ!

あの日食べた鼻くその味

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どうも、ガンダムのオッサンです。

いつもの仕事サボり&妄想繰り広げポイントであるマイフェバリットコンビニ、外で一服しながら贅沢にカフェラテを飲んでいると5歳ぐらいの男の子がサイダー的なドリンクを飲みながら一人たたずんでいました。

 

きっとコンビニの中にいるお母さんを待っているのでしょう、

あどけない彼の瞳はキラキラと輝いてる、彼にはこれから素晴らしい未来があるのだろな、私みたいなオッサンになるなよ...!と強く念を送る夕方、

 

彼は突然にも鼻くそをほじくり始めました。

まあ別にいいさ、私だって鼻くそぐらい日常的にほじくっているさ、そんなもんは人間として生まれたからには当たり前の行為、まだ5歳ぐらいだもんな、人前でほじくるぐらい可愛らしいもんじゃないか。

 

彼はほじくった鼻くそを食べました。

ま....まぁな、確かに5歳じゃほじった後の鼻くその適切な処理方法なんて分からないもんな、人間なんでも味わってみるもんさ、どうだ?鼻くその味は、うまいか?そんなに美味いもんじゃないだろ?鼻くその味なんてそんなもんさ。

 

彼は再び鼻くそをほじって食べ始めました。

だ...だめだよ君、そんな短時間で鼻くそのおかわりしちゃダメなんだよ、そんなことしたら君が日常的に鼻くそを食べているかもしれないと思われちゃうよ、そーゆー連続食いはコッソリとやるものなのさ...

 

そんな彼を見て私はふと思い出す、

あの日食べた鼻くその味を...

ココから先はフィクションであり、しょーもない小説です。

鼻くそ大好きN君

あれは小学校4年だったと思う、いや間違いなく小学校4年。

名前を詳しく覚えていないのだが「のり君」みたな感じで呼ぶ友達ができた。覚えていないからN君とするしかない。

N君の家は金持ち地帯にあったのだけれどそんなに目立った家ではなかった。ボロ屋ではないけど金はあんまり無いみたいな感じだったと思う。

 

私がN君と友達になった時、N君の指は第二間接から先が数本無かった。

コレも全然覚えていないけど確か両方の小指と片方の薬指が通常の半分ぐらい、そんな雰囲気だったような気がする。

 

でもN君はそんな身体的特徴などお構いなしの人気者。

「オレの指は鼻くそほじるのに丁度いいぜ!」

のような感じでクラスから笑いをとる人気者、話は面白く成績は悪い...まあ悪ガキだった。

 

私はそんなN君と小学生ならではの悪事を行いまくって先生に呼び出されて職員室でよく親にぶん殴られていた。

でもなぜかN君は先生にあまり怒られない、親呼び出しもないから親に殴られない。

 

N君はホームルームで皆の前で先生に怒られながら普通とは違う指で鼻くそをほじり、しかも鼻くそをよく食べていた。それでみんなは爆笑、でも先生はあまり怒らない。

私も真似して同じことをするとその場で先生にビンタされた。

「なんでオレだけ...」

とクソガキながらに社会の理不尽さと鼻くその味を噛みしめていた。

とにかくN君はことあるごとに鼻くそをほじって笑いをとっていたんだ、私にはそれが羨ましくもあり、もっとN君と仲良しになりたいとお互いに小学生ならではの悪事の限りをつくした。

 

私とN君は友達だが張り合っていたんだ。

それはもう今の時代ではありえないモノを使って先生に迷惑をかけまくった。

あの時の先生、本当にごめんなさい。

学校を休みがちになるN君

「今日はアイツとコレを使って戦おう」「今日はアイツと一緒に水風船を空中で炸裂させよう」などのようなことばかりを考える悪ガキな日々、

いつぐらいか忘れたけどN君が学校を休みがちになってきた。

 

一週間ぐらい学校を休むこともあれば一カ月か二カ月か分からないけど学校に来ないまま夏休みになってしまうような事があった。

 

おかげで先生に怒られるのはクラスで私だけ、私としてはN君がいつ学校に戻っても悪さが出来る体制を整えておかなければならないといった使命感があったのかもしれない。

私は勤めて悪ガキであり続けた。

夏休み、N君の家に行く

「〇〇く~ん、遊ぼうよ~」

私の小学生時代、友達の家に遊びに行く、友達を家から呼び出すといった行為の前には一つの儀式があった。

それは友達の家の玄関の前で大声で「〇〇く~ん、遊ぼうよ~」と呼びだすような行為、その呼び出し方にも独特なイントネーションがあったのは現オッサンなら頷ける話だろう。

インターホンを押すというのは最終手段、そもそもインターホン自体がありふれた存在ではなかったような気がする。

 

私は夏休みのある日、仲間と一緒にN君の家の前で叫んだ。

「〇〇く~ん、遊ぼうよ~」

しかしN君は出てこない、誰も出てこない。

もしかするとN君は家に居たのかもしれないけど出てこなかった。

秋か冬、N君は学校にきた

詳しい月までは覚えていない。

秋か冬だったと思う。N君は突然学校に来た。

しかし前のN君とはだいぶ違っていた。

今でもはっきり覚えているのはN君の髪が殆ど無かったことだ。

 

それでもN君はいつものように明るく楽しい悪ガキだった。

でも、学校に来なくなる前のN君とは明らかに違う。悪ガキ特有のパワーが無い、瞬発力が無い。

相変わらず半分しかない指で鼻くそをほじくって食べてみんなを笑わせようとしていたような気はするけど本気でみんなが笑っていたとは思えない。

 

私はN君の分まで悪ガキを頑張らないといけないと強く思ったのだろうか、ブログでは書けないような行為をして教室の器具をひとつダメにした。

 

恐らく全学年の先生に怒られたであろう、とくに給食のオバチャンには強烈に怒られたのを覚えている。もちろん今の時代とは違って鉄拳制裁有りの時代だ。

 

全教師が見守る職員室で土下座レベルの謝罪を行った親父にその場でフルスイングビンタで吹っ飛び、吹っ飛んだ先のガラスが割れてふくらはぎがパックリ、そのまま病院直行で縫った。

家に帰ると母ちゃんが泣いていた。

親父は頭を抱えながら禿げた頭をかきむしっていたような気がする。

 

それからというもの休み時間は職員室でひたすら漢字を書かされるという罰、何の漢字を書かされたかさっぱり記憶にないがノート10冊ぐらいは書かされる罰を受けていた。

 

休み時間にこそN君と遊ぶチャンスなのに私は自分の愚行によりそれを台無しにしてしまった。今もたいして変わりはないが、私は本当に馬鹿なクソガキ小学生だった。

 

あれは確か正月休みあけだったと思う。N君は再び学校に来なくなった。

学年が5年生に上がる前ぐらいの頃、

N君は亡くなった。

お母さんに抱き着いて激しく泣いた

今になって思えば学校の先生はN君が病気、それも長くは生きられない病気を知っていたのだと思う。いや、間違いなく知っていたはずだ。だからこそN君はあまり怒られなかったのだと思う。

N君の病気、確か小児ガンと、血の病気だったような気がする。それは母に聞けば詳しく教えてくれるだろう、でも何か聞きにくい。

 

当時を思い出してみるが通夜的な感じの印象が無い。

「お別れ会」のような雰囲気がN君の家で行われたように記憶している。

 

私もN君のお別れ会みたいなものに参加、確か同学年の生徒が並んでN君の遺影の前で一人一人手を合わせて帰るみたいな流れだったと思う...やっぱりアレは普通の通夜だったのかもしれない。

でも不思議とそんな悲しい感じではなかった。

私もその場では泣いていないはず、分からないけどN君が居なくなったぐらいの感覚だったのかもしれない。

 

まだ人の死を理解しきれていない年齢だったのだろうか、小学校高学年ともなれば分かりそうなものだと今になって思う、しかし自分の馬鹿っぷりを考えると私ならそれも妥当かな...とも思える。

 

 

N君のお別れ会が終わり、家に帰るとお母さんが私の帰りを待ちわびていたような感じたったと思う。

突然に涙があふれ出し、私は母に抱き着いて泣きまくったシーンは覚えている。

 

そういえば婆ちゃんが病院で亡くなった時も私は泣かなかった。

家族に「バイトがあるから後で...」と泣かずに病院を出て、一人歩いている時に激しく泣いた。

その後バイト先の店長に婆ちゃん亡くなったと告げると今すぐ帰っていいから的な事を言われて帰るもバイト仲間の女の子が追っかけてきて私を慰めまくってくれてその日にヤってから家に帰った。

バイトはそのままバックレ気味に辞めた。

やっぱり今もたいして変わらないが当時の私は何もかもが終わっていた。

 

良く考えたら金持ち爺ちゃんが亡くなった時も人前で泣かなかったような気がする。

 

この先私の両親が亡くなる時、私はどのような行動をとるのだろうか?

やはり泣かずにどこかへ行って一人で号泣してから戻って来るのだろうか?

 

私は...

私は久しぶりに鼻くそを食べてみようと思う。

 

そこにはコンビニで鼻くそを食べる5歳児の彼のように、またN君のように、私が忘れかけている何かと大切な味があるのかもしれない。

 

「あの日食べた鼻くその味」完

 

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最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

全てフィクションです。

ごめんなさい。