どうも、ガンダムのオッサンです。
夜ゲーという言葉... これは過去のネット人生も含めて今回初めて口を開く言葉であり、その存在は聞いた事があるかも知れませんが詳しい部分を語る人は中々いませんでした。
もう今から20年以上昔の事になり、昨今のゲーセン事情も昔と形態が随分変わりましたので、私の中でもそろそろ話しても良いかな? ....と。
アングラな世界の話であり、ヤバイ世界も含む内容ですが1980年台中盤~1990年台後半のゲーセン裏事情を少し語らせてもらいます。
ゲーセンが全国的に盛り上がりを見せた時期、これは対戦台が流行った時期と重なりまして対象のゲームはストリートファイターⅡ、略してストⅡです。
このストⅡがゲーセンに登場したのが1991年、そこから数々の対戦型格闘ゲームがゲーセンに登場しました。 当時ゲーセンでプレイした事のある現オッサンなら分かりますよね。
んで、そんな対戦型格闘ゲームで異様なほど強い人いませんでしたか?
幅広い年齢層でグループ作ってる強すぎる集団いませんでしたか?
そいつらは他ジャンルのゲームでも異様に上手くありませんでしたか?
突然理不尽なバグっぽい技で負けた事ありませんでしたか?
これらの出来事、多分偶然ではないのですよ... 6割方「夜ゲー」が絡んでいます。
※少し長い記事なので昔のゲーセンに興味が無い人は読まないほうがいいと思います。
ゲーセンとの出会い
以下全てフェイクです。
私は小学校高学年からゲーセンに通い始めました。
当時お金もない小学生がゲーセンでゲームが出来るのか?と思いますよね、そこは様々な方法を活用して何とかしてゲームをするんです。
一番手っ取り早いのがゲーセンの店員オッサンと仲良くなる方法、あの手この手で1クレジットを得るのです。
店員オッサンが1クレジット(ゲーセンの筐体にはサービスクレジットというボタンが付いており、一回押すと1コイン入れたのと同じ扱い)をくれると筐体を開けたら即座に割り込んでサービスクレジットボタン連打...
ろくでもない小学生ですよね、店員オッサンにぶん殴られ、鼻血を流しながら友達とゲームをするというトンデモナイ世界です。 ちなみに鼻血が出ると確実の他のゲームも1クレジット貰えるので当時は殴られる順番を決めていたり...
酷いヤツは共謀して店員オッサンの出前が届く時間にオッサンの肩もみマッサージ、出前のカツ丼を勝手に少し食べてオッサンにぶん殴られる、1クレゲット!なんて強者も。
んで店員オッサンに媚売り以外にも電気ショックという技があったのですが、全国的に流行ったのでしょう、あっという間に対処されたのを記憶しています。
それから中学生になっても私のゲーセン通いは続きました。
中学生時代のゲーセン
ゲーセンが一気に進化したのがこの時代です。
それまで怖い人たちが経営母体であったであろうゲーセン、店内は暗くヤンキーのたまり場だったのが明るい店内へと変わってゆく時代です。
店員も怖いオッサンから大学生へと変貌してゆくのであります。
(昔のゲーセンが暗かったのには蛍光灯の反射防止が主な理由です)
この時代はグラディウス、魔界村、源平討魔伝説... 全部のゲームと感想を書いていたら文字数は5万を楽に超えちゃう世界、いわゆるアーケードゲーム黄金期と呼ばれる次期です。
この頃には数々の名作におこずかいを吸い取られつつも金持ちの子のオゴリも併用してゲーセンライフを満喫しておりました。
またゲーセンの雑巾を勝手に使って怖いヤンキーさんのバイクをピカピカにして100円もらうとかの発展途上国的アルバイトに精を出した時期でもあります。
店員オッサンのカツ丼を勝手に頂くようなヤツは、パチンコ屋さんにも入りびたり、常連のオッサンが出ている時に買い出しを申し入れてお釣りを貰うといったトンデモナイ世界も繰り広げられていました。
そんな中、世代はバラバラですが異常なほどゲームが上手い人がいます。しかも常連で店員とも仲が良く、ゲーセンにおける集団的な存在です。
彼らのプレイ内容はゲーセン雑誌に載っていないようなテクニックがちりばめられており、よく後ろでヤンキーバイクを待ちながら眺めていたものです。
当時の私たちもゲーセン店員と仲良くなりたかったのですが、ヤンキーさんたちやパチンコ屋さんの怖いオッサンとも仲が良いという事で煙たがられる存在でした。
そして始まる受験戦争..... しばらくゲーセンから離れる事になります。
(親や先生に強制的ゲーセンから連行多数、私たちはヤンキーではない)
高校時代のゲーセン
完全にゲーセンにどっぷり浸かってしまいます。
バブル景気時代にアルバイトをしていたのでゲーセン代ぐらいは余裕の資金力、さらにパチンコにまで手を出すというアホっぷり、気が付いたときには雀荘にまで出入りしているという全く勉強しない高校生活を送りました。
これは今の時代の高校生からすればあり得ない話でしょう、しかし私の時代における高校生パチンコとは今は無き一発台にかけるロマンがあり、実際あれで色々と救われたものです。
こんな高校生ですからね、一番安上がりなゲーセンは入り浸ってのゲーム三昧、そして出会ってしまったのがストⅡとなるわけです。
このストⅡ、現在でも続編が出るシリーズでプロゲーマーというジャンルのきっかけにもなったゲームではないかと思っております。
始めは一人プレイだったストⅡ、対戦は友達。
これが知らない人との対戦になるまでにはあまり時間がかかりませんでした...
某有名ゲーム雑誌のライターが乱入
事の始まりはアレだったんでしょう。
また対面対戦台が主流になる前で私が一人でストⅡのアッパー昇竜見を練習しているとですね、横からたまに見た事のある人(当時30歳ぐらいかな?)が
「あのー...入って対戦してもてもいいですか?」
イキナリの声かけにビビった私なんですけど、その果たし状を快諾、まるでカップルのように座って対戦となるのです。
今でもその時の事は覚えており、私は彼の春麗(チュンリー:ゲームキャラ名)をボコボコにしました。
そこから会話が始まり、店員が近寄ってきて和やかなムードとなるわけです。そしてこの瞬間からゲーセンの裏側を知る私が誕生したわけです。
この話は瞬く間に私のゲーム仲間に広がり、さらにストⅡ熱も盛り上がりをみせ、気が付いた頃にはストⅡを占領する迷惑なゲーセン常連と成り果てていました。
ちなみに某有名ゲーム雑誌のライターさんはある時から姿を見せなくなります、まあ夜ゲーの存在を知った時からでしょうね...
道場破りと群雄割拠
「新宿ジャッキー」「池袋サラ」
この時代を生き抜いた格闘ゲーマーには懐かしい言葉でしょう、これはバーチャファイターというアーケードゲームから派生した凄腕匿名個人プレイヤーを表す言葉です。
地名+使用キャラで呼ばれる格闘ゲーマーはかなりの知名度を誇り、ホームゲーセン(サッカーワールドカップのホーム国みたいなもん)では神の扱いです。
では何故そのような地名+使用キャラといった流れが発生したか...
事の発端はストⅡにおける道場破りが原因だと思っています。
これはホームゲーセンのストⅡ集団が異なる地域のゲーセンに出向き、そのゲーセンにおける常連集団を格闘ゲームで叩きのめすといったゲーセン道場破り的な行為がアングラ的に流行、ゲーセンの店名がそのまま道場名となるわけです。
例えば「〇〇ゲーセンはレベルが高い、夜9時過ぎがとくにヤバイ」みたいな感じ。
当時このゲーセン道場破りはかなりの盛り上がりを見せ、休日のたびに他地域ゲーセンへ常連と遠征グループと、ホームを守るグループと別れて白熱した地域格闘ゲームが繰り広げられました。
コレ、言ってみれば戦国時代における群雄割拠みたいなもんです。
当時はまだインターネットが普及しておらずネットといえばパソコン通信です。
即座に他地域の情報が分かるわけでもないので、ゲーセン常連グループの中からまず始めにスパイを送り込み敵ゲーセンのレベルを知る。
そのレベルに合わせてチーム編成をしてから乗り込むというスタンスでした。
これは相当に熱い世界が広がっており、みな己のゲーセン店名を看板に掲げて下克上に勤しむのであります。
こんな事を書くと、ゲームの戦... もしかしてリアルバトルも?
なんて思われる方がいるかも知れませんが、それはありませんでした。
勝っても負けても相手を称える世界が広がっており、戦が終わった後は缶コーヒーを奢り合いつつ腕組みしながら立ち話といったジェントルな世界です。
当然のことながらゲーセン関連の知り合いが大量に増えてゆき、様々なゲーセンの電話番号や常連の電話番号(自宅、つまり家電www)を知ることとなる訳です。
そしてここから先に夜ゲーといったアングラすぎる世界が広がっていました。
真空投げ・ヨガきえーる
私も高校生ながらそこそこの腕前になり、常連グループから偵察部隊の称号を与えられ始めた頃だったでしょう、ある日私はザンギエフで常連グループの首領ガイルに対戦で勝った時の事... 私のザンギエフが番狂わせだったのでしょうね、凄腕常連ギャラリーに怒号が響きます。
すると首領がゲーセンの店員と謎のアイコンタクト、凄腕常連ギャラリーも何かを察したのか静まり返る、首領は無言で連コイン... 再びガイルを選びます。
その試合において起きた事、ストⅡのバグ技である「真空投げ」でした。
私は見たこともない真空投げに戦意喪失... しかし首領は一通り真空投げを私に披露するとわざと負け、再び連コイン... 今度はダルシムを選びます。
今度は本気で私をつぶしに来たと思ったのですが、そうではありませんでした。
ストⅡにはもう一つのバグ技があり、「ヨガきえーる」と呼ばれたバグ技はバグ解除しないで終わると電源OFFしなければならないバグ技です。
(ストⅡ続編シリーズにおけるヨガテレポートとは違うもの)
これら二つのバグ技、ストⅡがゲーセンに登場してから三カ月ぐらいには発見されていたバグ技だったらしいのです。
しかし家庭用ゲームに移植される前のアーケードゲームでなぜここまで知る事が出来るのか?なぜ圧倒的に強いのか?シューティングゲームもデタラメに上手い...
当時高校生だった私は彼らに追いつくべく必死に練習していたんです。しかし彼ら常連が練習している風景を見たことが無い。
入荷されたばかりのゲームをいとも簡単に1コインALLする...
恐らく全国的にこういった常連がゲーセンに存在していたことでしょう。
そして私がホームとしていたゲーセンでは常連から披露された真空投げとやり方、これが夜ゲー参加資格を得る者への贈り物みたいな感じでした。
夜ゲー
一言に夜ゲーといっても幾つか種類があります。パターン的には...
- 営業終了後のゲーセンで店員さんの好意によりタダでゲームし放題
- 営業終了後のゲーセンで店長・店員さんに1000円ぐらい払って始発までゲームし放題(フリープレイ)
- 営業終了後のゲーセンで、オーナー主導の元に秘密の営業(シャッターは占めており、裏口から出入り可能で店内では通常営業状態)
- 深夜営業のボーリング場などに併設されたゲームコーナーの電源を切らないでおいてくれる措置
大体こうのような内容でしてグレーゾーンから法に触れるもの含みます... ってこれがかつての夜ゲーの正体であり、店員と異様に仲の良い常連がゲームが上手い理由であったりするパターンが多かったのです。
この中で最も価値ある夜ゲーが店員さんや常連さんと一緒に深夜のフリープレイです。
現在のゲーセン形態からすれば夜ゲーなど存在しないと思いますけど、当時夜ゲーというキーワードから連想されるのは概ね店員さんとタダゲー。 やはりみなここを目指すのであります。
タダでゲームが出来るというのは勿論ですが、深夜にゲーセンでゲームが出来る価値のほうが当時はもの凄く高いことにより、様々な地域の夜ゲー常連さんたちがゲーセンアルバイトの座を奪うほど人気のアルバイトとなってしまいました。
これは当時 家庭用ゲーム < アーケードゲーム といった価値観ゆえです。
またバブル景気に加えてゲーセン黄金期ともなればゲーセンの数もかなり増えるのです。
今度はそれまでのいかがわしい経営母体と変わって株式会社形式のゲーセンが登場。
都内だと一つの町にゲーセン3つ~4つなんてのは当たり前の世界で、そこのアルバイト店員さんは〇〇ゲーセンの夜ゲーメンバーなんて事が横行した時代なんです。
この世界に足を踏み入れたら最後、睡眠時間と引き換えにゲームの凄腕称号を得られます... そう、そうなんですよ。
あの時代、24時で営業終了するゲーセン... シャッターが閉まったその奥では夜な夜なゲームが行われていたゲーセンが結構な数であったのです。
この夜ゲー情報というのは地域別にあったり常連さんが他地域のアルバイトとなって夜ゲー開催(店長も知ってるor店長指示)を行い、そのゲーセンに凄腕ゲーマーを集めて一般客の集客UPを計るという水面下の営業、現在の言葉でいえばステマが行われていました。
これはバブル景気により乱立するゲーセンの経営陣としても自分のゲーセンを繁盛させたいといったライバルゲーセンとの闘いもあったがゆえです。
こういう夜ゲーの世界に入り込めないゲーセン、それは昔ながらの怖い人が経営母体だったり、大手ゲームメーカー直営のゲーセンです。
中には大手直営のゲーセンでも店員さんの好意により夜ゲー可能なゲーセンもありました。
しかし夜ゲーの存在は大手ゲームメーカーも把握しており、深夜に突然部長クラスの人間が夜ゲー会場を訪れて客?を追い出し終了、
次の日には店長やアルバイトが全員変わっているといった事もありました。
昔ながらの経営母体なゲーセンはバブル景気+ゲーセン黄金期にもかかわらずひっそりと閉店、暫くしてパチンコ屋さんになってたりしたもんです。
株式会社形態のゲーセン社長
夜ゲーの世界にどっぷり浸かるとアルバイト店員さんだけでなく社長さんともお話しする機会が増えるというもの、それも深夜ですから完全に高校生が足を踏み入れてはいけない世界です。
そもそもゲーセンの営業を行うには風営法を守って管轄の警察署の許可が必要でした.... もうこの時点でヤバイ臭いがしますよね、実際色々とヤバイかったです。
現在はそのような事は無いでしょうけど、当時はやはりそういう世界との繋がりも必要だったらしく、社長さんを囲んで色んな話を聞いたもんです。
またゲーセン経営は電気代、回転率、1時間単位の入場客数といったものを重視して経営が行われる事を教えてもらったり、ゲーム基盤の価格や筐体の価格、ハーネス(ゲーム基盤と筐体を接続するコード)の作り方や連射装置の作り方などなど本来の夜ゲーとは異なる趣旨の夜ゲーにも数多く参加させて頂きました。
夜ゲーに行ってゲームをするつもりが一晩中はんだごてを触ってるなんて事もしばしば... それでもこんな刺激的な世界は魅力的すぎました。
結局高校卒業してからもゲーセン通い&夜ゲー通いは続き、バーチャファイター2が飽きた頃に夜ゲー卒業となるのです。
その後、社会人になってから会社の同僚と再び対戦格闘ゲームにハマった時期があったのですが、私と一人の同僚がずば抜けた格闘ゲームの腕前だったのです。
彼に「もしかして夜ゲーやってた?」と聞いたところ、私と似たような夜ゲー経験アリ。
しかも東京都ですが、地域的にかなり離れていたという事からもあの時代に夜ゲーが蔓延していたのはやはり...という他ありません。
この夜ゲー話、アングラな世界であり語りにくい部分もかなりあります。
またあの時代に夜ゲーの存在を知らなかった人からすればズルイ!と言われても仕方がない事でしょう、何となく気が付いていた人もいると思います。
今回、私が関わった夜ゲーの真実を語ることにより、当時モヤモヤした気持ちがあったゲーマーの心が少しだけ晴れればいいなと思ってこの記事を書きました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
絶対に歴史の教科書に載る内容ではないのでネット上の記憶として残ってくれればーと思っています。